「定年になったら離婚して、社交ダンスで素敵なパートナーを見つける」と公言している同僚G子は恋愛に対して耳年寄りだなぁ。と思う。
耳年寄りG子のから教わった単語が「自然な出会い」。これがミュウさんは不思議で仕方ない。
G子「D君は同い年夫婦で、社内恋愛で仲良くて。やっぱり、自然な出会いいいですよねぇ」と、同じフロアで働くD君に子供が生まれた際の彼の対応を見て呟いた。
え??自然な出会いって??なに???
G子の説明によると、職場や学校など生活圏内で出来上がったパートナーシップが「自然な出会い」らしい。(自然にひかれあって、自然に恋に落ちるという事)
ええ???D君は先輩の結婚式二次会に行った際に居た、先輩の同期の現奥様に声をかけた。そこから交際が始まっている。
ただのナンパですよ!
F君とミュウさんだって、F君が退職時に私を食事に誘ったところから交際に至っているけど。私の作業室でF君にナンパされたと思ってるけど。自然なのか??
「出会う」こと自体の偶然性を「自然」と言うのなら、教室だって街中だって出会い系アプリだって「その時にそこに居る」事の偶然性があるわけだからそこに不自然さは無いように感じるけど違うらしい。
旅に出た若者が山でケガをしたところ、近くの村人に助けられ、その家の娘と結婚した。的な、「日本昔話」の定番なれそめも『自然な出会い』? 家中で若者が娘をナンパしてるでしょう。
自然な出会いってなに?
同じ生活圏内に居る人に好意を持つことだって、そういう目で周囲の人間を眺めてないと出来ない事だし、
好意を持った人に好意を向けてもらうためにあらゆるアプローチをしているはず。
それって意図的な行為で不自然さ(日常の行動と違うこと)が起こっているんじゃないの?????
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冒頭のD君が奥様と出会った『二次会』に、ミュウさんもG子も出席している。
その時にD君奥さんは一張羅のドレスとばっちり髪型を決めて臨んでいる。
G子はくたびれた適当なワンピースと、いつもの髪型で出席している。
自然な場所で出会えるかどうかは、そこである程度不自然さを伴う必要があると思う。
まず、視認性を上げる不自然さは必須でしょう。
と、G子に教えてあげた。
世の中に自然な出会いなんて存在しないんじゃないのかな。
もしくは、出会いは全て自然なんじゃないのかな。
お見合いでだって。
自然に、日常的に、出会いを招き入れる努力が出来ている人が「自然な出会い」を手に入れられるんだと思うけど。
どうでしょうか。