(悶々として収まらないから、少し色気の有る話を書けたらと思う。)
「義理の姉」は、ミュウさんにとって特別な言葉。
※ミュウさんに義理の姉は居ない。
社会人になって直ぐ。20歳の頃。
大卒しか採らない規定に反して入社したミュウさんは、暫く社内でタライ回しに。
標準語を喋って、スーツを着て来なかったりする20歳。 当然だったかもしれない。
1ヶ月ちょっと経ってから、研修と称して配属されたのは「新規技術研究室」という、看板だけ立派な”掃き溜め部署”だった。
私を除いてメンバーは2人。
元は仙台の凄腕営業員だった"らしい"N課長。サボり魔。
元はトヨタのテストドライバーだったY係長。足が悪くて足を引きずって歩いている。
2人とも50歳すぎたおじちゃん。
私は異動になった先輩から引き継いだ商品開発をこのおじちゃん2人を先生役に進めさせられていた。
この2人、社内の評判はビミョーだったけど、知識と社外とのパイプは確かで、処世術は彼らから学んだ気がする。
ほぼ毎日、検査室でお茶してた。※ミュウさんは、ちゃんと仕事してた
なんだかんだ引き継いだ商品が発売まで行って、識別用でいいので品名を決めなきゃいけなくなった時、3人でおやつを食べながら会議。
名付けルール書を貰ったけど、引き継ぎ商品で何の思い入れもなかったミュウさん、全く名前思いつかず。するとN課長
「フツーの名前じゃ面白くないやろ。とりあえずそれぞれ好きな名前言おうや。」と、言い出した。
Y係長は好きな車の名前。使えるわけが無い。
ミュウさんは、好きなジョジョのキャラクターの名前。使えない...
で、呆れたN課長が言ったのが
「義理の姉」
N課長いわく、
「俺の親父がよ、兄貴と歳が離れとって。兄貴の嫁さんが妙に色っぽく見えて、良く着替えやらしょっちゅう覗いとったらしいわ。」
お父さんから聞いたその話が好きで、その話のタイトルが義理の姉だと言うことだった。
めちゃくちゃいい話だったので新商品の名前は義理の姉で決定。
実際の品名は「GN」になったが、『義理の姉』の略であることは、私たち三人しか知らない。
N課長はコテコテの尾張弁と下ネタのエスプリの効いた人間臭さタップリのおじちゃんで、当時、珍獣扱いされていた私を人間扱いしてくれた人でもある。
専務勅命で導入された新素材があって、高いし生産性が悪い。 開発部で持て余したために部長はこれを私に任せた。私はその部長が大嫌いだった。
入社2年目だったが、いま思い返してもあの新素材の開発はかなりよくやってた。「新規術研究室」の援護もあったから。
ただ、何をやってもどうしてもお金がかかる。決算権は2年目にある訳がなく、現場に私が出向いても決算の仮決定すら下せない。
だから私が居ても進捗が悪い。それを可哀想に思って設計部門の課長が「俺が責任取るから今、お前で決めていい」と、機械検証が10時間かかってしまい、終わりの目処が付かず深夜になった時に言った。
私は一応、部長や開発の先輩に電話した。
出ないから、設計部門に甘えて「やって下さい」と言った。
翌朝 、報告と同時に部長に怒られた。
そんな事はしょっちゅうだったけど、その日は涙が出て、止まらなかった。
その時にN課長。
「好きなだけ泣けや。まだ2年目なのに職場でこんなに泣けるのは、1人前の仕事貰ってやってる証拠やぞ」
と、教えてくれた。
これは『義理の姉』の次に私の好きな言葉。
F君が私の作業室で泣いてた時に、彼に言ったことがある言葉。
N課長は、身体が癌だらけで殆ど内蔵が無いと言ってた。お肉が食べられない人だった。60歳になったか、ならなかったかの時に長期休暇のまま天国に行った。
義理の姉、出会えたかなー。