ここ数日「コミュニケーション」を再認識する出来事が多かったのでこのテーマにしてみる。
1)Sさんとコミュニケーションが出来ていない
「週末に死んでる」宣言以降、帰還されないSさん。「うちの妹もよくそうなるので大丈夫ですよ」と、返事を気にしないでと言ったミュウさんも居るのですが。
ここまでかぁ。結婚生活ままならない系なんじゃ。
数日後にデートの約束はあるけど ①そこまで無言でバツ悪くならないもんなのか?(その辺も私に似た『強心臓』の持ち主なのか) ②もし予定ドタキャンするなら今のうちにキャンセルして欲しいな。 ③あ、会いたい子が居るから、レストランの予約譲ってもらいたいなぁ。
次回会えたとして、真っ先にしなければいけないのは「結婚を見据えたすり合わせ」なのだが、一般社会の時間軸から逸脱した生活状態になっている様子に興味が引かれてしまい、そこの質問で終わってしまいそうな。
自分の興味をグッとこらえる事が出来そうもない自分を感じる。
一方、自分のペースで担々と私への返信をしてくるJ君。
この人は本当に出来た人だなぁ。
2)コミュニケーションしたくない上長(彼も、私もそういう気持ち)
先週、I君との雑談で「あ、リーダー、いまコロナ感染で在宅なんですよ」と聞く。
私(と、私のチーム)のメンバーが知らないうちに感染し、二週間の自宅待機の二週間目(残り4日)になっての情報伝達だった。
このリーダー、自己保身だけでほか一切の活動をやめてしまっている。
稚拙な内容になるのでリーダーとミュウさんの話は書きたくないが、この人、本当に基本的な連絡がないもできない。し、上長が不在なのを知らずに業務が完了する状況自体、異常。 自分の感染をチーム報告しないのも異常。 感染を知ったリーダーの周辺メンバーがチーム全体に情報共有しなきゃ!と思わない状況も異常。
・・・この状況を打開するためのコミュニケーションをして、特にA君、I君、T君の若手メンバーの業務環境を正しくするために動けるのは私だと思うけど・・・。
あー。やだなぁ。
あ、こういう精神的負担感が有るから、Sさんは私とのコミュニケーションを嫌煙してるのかな。数回のやり取りでそこまで感じさせたならそれはそれでミュウさんの「特殊能力」的なものを感じる。
3)親友とのコミュニケーションで自分を知る
「親友」との表現で収まらないような家族より大事な人物が私には居る。
20年来の友達だから親友かぁ。
Sさんとの運命的な出会いを感動して共有したのをきっかけに、互いから見た互いの評価をここ数日ずっとやり取りしている。
色々嬉しい気づきがあった中で、私が「行動力がある」と言われる要因が解った。
概ね、普通の人は「行動するまでの『気持ちづくり』の工程がある」らしい。
私は確かにそんな時間を設けたことが無い。
婚活をして改めていろんな人に「あなたは行動力があるね」と言われたけど、言われるタイプである認識はあってもその根拠を知らなかった。
「気持ちづくり」かぁ。
机の上に広がった粉を集めて、水や玉子やベーキングパウダーとかを入れてコネコネする感じなんだろうな。 それで上手く膨らまなかったら「行動に移さない」結果に至る感じかな。
とすると、私は沢山完成したパンを持ってるみたいな感じなのかな。
4)コミュニケーションで旧友が元気であることが分かる
私の大切な友人の一人で、数年前に鬱を患った子がいる。
医者の家の一人娘で、勉強が出来てクラス委員長もやってて、一流企業に勤めていて、当時は社長室に居た。
「ウイーン少年合唱団のチケット貰ったから、一緒に行こう!」と誘われ、ドレスを新調したミュウさん。その講演の3日前に倒れた彼女。
私との約束もあったからか、倒れてから日がたたないうちに「実は鬱になっちゃって」と告知してくれた。凄く強い女性。
同じクラスだった、誕生日が近い、一般企業の正社員。この3点くらいの共通点しかないが、倒れた彼女が快適にすごせているかふと気になる。
桜の季節になると必ずメッセージを送って、お茶をして、その顔を今年も見られたことに安心してまた一年を過ごす。
****
コミュニケーションをとるから、ガッカリしたり、悲しくなったりもするけど。
でもやっぱりコミュニケーションが私は好き。
こういう感情をブログに書いたり、他の方のブログを読んだり、
草くんに星を付けたり、もらったりするのも好きだから。
コミュニケーションっていいよね。